特集 沼田勇 医学博士 著書 ––「幕末名医の食養学」よりご紹介––

特集 沼田勇 医学博士 記事
特集 沼田勇 医学博士
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この沼田先生の章は、あらゆる医学会の方々、また医院などで臨床をされている先生方に是非読んで頂きたいと思っています。現役の先生方にも、読んで頂きたいページです。ぜひ、感想をお寄せください。お待ちしています。


  1. 「幕末名医の食養学」から学ぶこと
  2. 序 章 自然食の創始者―石塚 左玄―
    1. ■石塚左玄が発見したもの
    2. ■明治天皇と石塚左玄
    3. ■石塚左玄の警告
    4. ■石塚左玄のユニークな治療法
    5. ■石塚左玄に学ぶ
  3. 第一章 食物至上論―命は食にあり、百の薬より食
    1. ■玄米のすすめ
    2. ■日本人に必要な自制心
    3. ■食べ放題が死を招く
    4. ■楽をしたがる人間
    5. ■生活遺伝―食伝
    6. ■少食のすすめ
    7. ■実例が語ること
    8. ■少食で済ませる方法
    9. ■食前の祈り
    10. ■五観の偈
    11. ■食べるときの姿勢
    12. ■恐るべき「ぐにゃ」現象
    13. ■フレッチャーイズム
    14. ■石塚理論を裏づけたフレッチャーの実験
    15. ■源氏が平氏に勝った理由
    16. ■パロチンの威力
    17. ■細嚼は飢え難し
    18. ■虫歯大国ニッポン
  4. 第二章 穀食動物論―肉食でも草食でもない人間
    1. ■NaとKの比較
    2. ■なぜ人間は穀食動物なのか
    3. ■肉食人種になるのに二万年
    4. ■人間だけが持っている澱粉分解酵素
    5. ■日本人に少ないラクターゼ
    6. ■肉食が長命をもたらしたのではない。
    7. ■肉食後、体内はどうなるか。
    8. ■体温の低い日本人に肉は不適である
    9. ■「ベルツ日記」が教えるもの。
    10. ■横井庄一さんが生き延びた理由
    11. ■肉食動物と草食動物
    12. ■日本人と欧米人の坐禅
    13. ■ヨーロッパ人と肉食
    14. ■肉の害
    15. ■石塚左玄の先見性
    16. ■命を大切にしよう
  5. 【著者:沼田 勇 博士 略歴】
  6. 【石塚 左玄 略歴】

「幕末名医の食養学」から学ぶこと

新型コロナウイルスが世界中に広がり、感染症はパンデミック(世界的な感染状況)を示しています。コロナウイルスによる感染症は今世紀に入って、2002年中国で発症したSARS(重病急性呼吸器症候群)、2012年中東サウジアラビアで発症したMARS(中東呼吸器症候群)などの事例が報告されていますが、今回の新型コロナウイルス感染症はこれらのものとはけた違いの感染力と、症状の深刻化を示しています。
2019年の暮れに中国湖北省武漢で発症した肺炎患者から見つけられた新型のコロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症がまたたく間に世界に広がり、1年3か月後の2021年3月現在、世界の感染者1億3千万人、死亡者280万人、日本国内でも感染者50万人、死亡者9千人に達しています。
現在治療薬は開発されておらず、発症者には対症療法が施されているにすぎません。また本年(2021年)からワクチン接種が始まりますが、接種状況の見通しと有効性の確認はまだまだ先のことになります。このような状況の下で私たちは、感染予防と拡大防止のために万全の措置と行動をとらなければならないことは当然ですが、感染症に堪えうる免疫力をつけること、そのために自分自身の体を健全に保つ方法を省みなければならないでしょう。
さいわい、医薬品や医療頼みになることなく、日常の食のあり方で身体と精神の健全を保つ方法とその実践の仕方を私たちの先達が残してくれました。江戸晩年の生まれで明治の時代に食養の考えとその実践から多くの人の命を救い、食養道の確立に心血をそそいだ石塚左玄がいます。そして石塚の考えと行動に深く思いをいたし、戦前、大戦中、戦後へと玄米食を食養の中心にすえ、医療と研究と実践に努力を重ねて、大きな足跡を残された沼田勇博士。これらの先達の思考と行動をたどり、食の実践に生かすことが、この時期、新型コロナ感染症をのりこえ、安心して生活できる日常を取り戻すうえで重要であると考えます。


序 章 自然食の創始者―石塚 左玄―


■石塚左玄が発見したもの

自然食を最初に唱え実践して、多くの人々の病気を治したのが石塚左玄です。

❶食品をナトリウム塩の多い順に並べていくと、ナトリウムが少なくなればなるほどカリウム塩は多くなること。
❷ナトリウムの多い食品は漢方で陽性、カリウムの多い食品は陰性といわれてきた食品であることを発見する。


■明治天皇と石塚左玄

●明治四十年ごろ栄養学の先駆者といわれた佐伯矩は、栄養研究所を設立するため奔走中でした。そのとき明治天皇が「石塚左玄が食事で病気を治しているのだから、研究所があってもよいではないか」と、お述べになり、また肉食を勧めたところ「菜食を無効となすのはおかしい」と強く反論されたそうです。
〈左玄の活動が広く認められていたことを示します。〉


■石塚左玄の警告

●明治三年に日本政府は十四人の留学生を医学研究のためドイツへ送り、これを手はじめに秀才たちを続々と留学させました。そのころドイツの生理学者・ペッテンコーフェルのカロリーメーターの測定、カール・フォイトの栄養論などが高い評価を受けていました。留学生がこれを持ち帰って「肉食、バターなどを摂らなくてはならない」と欧米食を礼賛し、それを普及させるべきだと強調しました。
●腎炎に苦しみ、塩に強い関心を寄せていた左玄は「人間に必要な水や塩のカロリーはゼロである」ことに気づき、ナトリウム、カリウムに着眼したと考えられます。そして、そのことから「欧米の学問を鵜呑みにしてはならない」と警告するようになったのです。
〈実証に基づいて自分自身の考えを貫く左玄の姿勢が示されます。〉


■石塚左玄のユニークな治療法

●二十世紀の初めごろに、東京・市谷の自宅に「石塚食療所」という看板を掲げ、沢山の人々の治療に当たっていました。
〈左玄の治療は評判になったようです。〉


■石塚左玄に学ぶ

●日本には世界中の食品が集まり、あらゆる国の料理があります。飽食時代とかグルメ嗜好とか言われ、日本人の食生活は遠い昔に栄え滅びたローマ帝国を思い出させます。
●日本が高度経済成長路線を走り始めて間もなく、日本古来のものを大切にする気持ちを捨てて、食べ残したものを捨てるようになったのです。
●およそ物を粗末にする民族が、その繁栄を永続させた例はありません。人の食べ物に対する考え方は、どこか大きく狂っているのです。今こそ左玄の言葉に耳を傾け彼が残した教えに学ぶべきです。
〈食のあり方に対して危機感を表し、左玄に学ぶべきであると述べます。〉
●現代の私たちにとって重要な五つの原理   
❶ 食物至上論(命は食にあり、百の薬より食)
❷ 穀物動物論(肉食動物でも草食動物でもない人間)
❸ 風土食論(順化適応した先祖代々の食)
❹ 自然食論(そのものを丸ごと食べる)
❺ 陰陽調和論(食のバランスが健康長寿の秘訣)
この五原則を学び、それぞれの健康管理に役立てていただきたいと思います。


第一章 食物至上論―命は食にあり、百の薬より食


■玄米のすすめ

●石塚左玄は「食よく人を生ず」として、自著『長寿論』に「食よく人を養い、また、よく病いを医す。食よく人を長大し、食よく人を壮健し、食よく人を多寿するものなり」と記しています。
●「生命なき食物は生命の糧とならず」東大教授・二木謙三先生は、いつもいっておられました。
●なぜ私たちは米を食べるのでしょうか? 私たちは生きるために必要なエネルギー源として、澱粉を摂ります。澱粉は化学的反応によって炭酸ガスと水に分かれ、それでエネルギーが生じるのです。米はその一粒の中に反応を起こす作用と部品のワンセットを過不足なく持っているのです。私たちが米を食べる場合、加工されない玄米で食べるほうが自然なのです。
〈人が生きて行く一番の基本は食であると規定しその食の元に玄米があることを提示します。〉


■日本人に必要な自制心

●人間には、おしなべて楽をしたい、という願望があります。食べ物にしても、噛まなくても消化のよい物はおいしいと感じるものです。動物園のライオンは食物に困らないので、始終寝そべっています。楽だからと寝てばかりいたらどうなるかライオンは知りません。しかし人間は理性によって生活をコントロールし、修養や節制に励むことができるのです。
●スウェーデン人の宣教師アスベリーさんは、故郷で玄米食が普及していることに驚きました。故郷の人に「白米のほうがもっとおいしい」と問うと、「玄米のほうがビタミンやミネラルを摂りやすい」と答えました。今の日本人の多くには、このアスベリーさんの友人たちのもつ理性がありません。赤ん坊にチョコレートを与える日本人の母親には、飽食呆けの日本人に最も求められている自制心がないのです。
〈食に対する節制が必要であると警告を発します。〉


■食べ放題が死を招く

●「栄養学」という言葉が用いられる前に、石塚左玄は「食養」という言葉を使っていました。左玄は食物修養の意味を込めて「食養」の文字を用いたのです。食物も修養であると位置づけをしたところに、左玄の考え方がよく示されています。
●玄米や自然食をおいしく食べるためには、手足を動かして汗をかくことが必要です。体を動かせば、血液の循環がよくなると同時に新陳代謝も盛んになります。先祖伝来の手足や体のあり方を、勝手に切りかえてよいはずはありません。
●楽をしたいという願望に身をまかせていると、必ず退行現象が起こります。骨は細くもろくなり、筋肉は痩せて機能は低下します。食べ放題、飲み放題、寝放題を止めて修養が必要になります。
●修養や鍛練は大脳生理学からみても大切であることが分かっています。ストレスや難病にも耐えるたくましさを生み、生命力を強めると、時實利彦元東大教授によって明らかにされました。
〈「食養」の語源と左玄の先駆性を示し、食に対する伝統な方法の重要性を説きます。〉


■楽をしたがる人間

●労を避け、楽をしたいという人間の願望は、好奇心や物欲と結びついて技術を生み、労せずして食す世界をつくりあげたのです。野生のライオンは同じ営みを繰り返し、そこには進歩も退歩もありません。しかし、人間は冷蔵庫や電子レンジを活用し、また流通機構を利用して世界中からおいしいものをかき集め、食卓を賑やかにしています。
●料理人は腕を振るって飽食させます。栄養価値が高く、消化のよいものを、おいしく感じるのは楽だからです。しかし、人の消化機能は退化し、歯は抜け、胃や腸は、切除手術を受けなければならなくなるでしょう。
〈楽をしたがる人間とその結果の退化を戒めます。〉


■生活遺伝―食伝

●石塚左玄は、しばしば「食伝」という言葉を口にしました。私たちが遺伝と思っているものの中には、生活遺伝ともいうべきものがあり、遺伝病とされているものですら、食物に影響されている場合があります。
●眼科学の草分けである石原忍東大名誉教授が家族性視神経萎縮のある兄弟の3番目の息子が正常な視力なので、話を聞くと「二人の兄は医師のいうところに従って、滋養物を摂り、ビタミンAを飲んだりしたが、少しも回復しなかった。自分は玄米菜食を励行した。 視力は普通の人と何ら変わりはない」といいました。
●かりに宿命的遺伝因子をもって生まれた人でも、この石原教授の診察を受けた患者のように、 適切な食生活をつづけて病気を克服することも望めるのです。左玄は食生活が伝承されていくことを重視して、いわゆる「おふくろの味」を「食伝」と呼び、生活遺伝を問題にしました。
〈食物の影響力の強さを述べ、左玄は遺伝的な要因にも食が影響を及ぼす可能性を考察していたと言及します。〉


■少食のすすめ

●栄養学者が金科玉条としている「栄養価値の高いものを楽しく食べる」ということの中には、多食という落とし穴があります。「腹八分医者いらず」は、誰もが知っていることわざです。最近、アメリカの栄養学者は、「腹六分にすればガンは十分の一に減る」とさえいっているそうです。
●時間がきたから食べ、喉が渇いていないのに飲むことや、むやみと味や色、匂いをつけたものを好奇心から食べることほど愚かなことはありません。少食が健康上大切なことを示すことわざや言葉は、洋の東西を問わず沢山あります。「なるべく簡単に、なるべく少なく食べよ」(ソクラテス)「僧侶、隠者の長寿はみな少食による」 (ベーコン)
●節制を進めるうえで、石塚左玄の教えを改めて噛み
しめたいものです。左玄が説いた人間主体の栄養論は、東洋的、総合的、哲学的で、それはまさに「食養道」と名づけられるべきものです。
〈哲学者の箴言を紹介し、小食の必要性から、左玄の哲学を考えます。〉


■実例が語ること

●石塚左玄以降の栄養学者で、少食論や少蛋白論を説いた人にアメリカのエール大学生理学教授、チッテンデンのほか、デンマークのヒンド・ヘーデ教授と日本の二木謙三先生(文化勲章受賞者、東大教授)がいます。
●ヘーデは、体重六七キロを保つのに蛋白二〇グラムあれば足りるとし、蛋白一一八グラムは必要だと主張する(ドイツの)フォイト教授の標準食とは大きな相違を示しました。第一次世界大戦中、デンマークはヘーデの学説によって食糧を用意し、終戦まで一人の栄養失調者も餓死者も出しませんでした。
●ドイツは、フォイトの弟子のルブナーの指導で食糧を用意しましたが、戦争の後半では栄養不良者や餓死者を出し、戦いに敗れたため、「ドイツを敗北せしめたのはカイゼルではなく、献立を誤ったルブナーである」と、非難されたものです。
●大戦に参加したアメリカも、食糧担当の政府顧問だった栄養学者のベネディクトが、チッテンデン教授を非難しましたが、実験の結果、同教授の説の正しいことを知り、陳謝したのでした。
●二木謙三先生は玄米、菜食の少食論者でした。最初一日二食論を唱え、さらに一食を試み八十歳を過ぎてからとても健康になられたのです。
〈以上歴史上の実例を示して小食、小蛋白質摂取の有効性を述べます。〉


■少食で済ませる方法

●今日のように料理が発達し、いつでも美味珍味を食べられる時代ではセルフコントロールは難しくなります。しかし、玄米飯では余計に食べると、胃にもたれるので食べすぎはなくなり、胃腸は安定します。玄米食はベストですが、それにこだわらずに七分搗きでもよしとしている人も沢山います。
〈小食のためにも玄米食が有効であると説きます。〉


■食前の祈り

●消化が健康に深くかかわっていて、その消化を助けるには、食膳についたら仕事のことも、身辺の雑念も捨てて心を落ちつけ、消化管の働きがよくなるまでの時間をもつことが大切です。
●欧米人の中には、食前の祈りをする人が多いようです。クラシック音楽を聞くと、心が安らぐことも知られていますが道具立てが必要です。 その点、祈りはいつでもどこでもやれます。仏教寺院での食前食後の祈りの行事は、理にかなっています。
●曹洞宗では食前に八つの「食事作法の偈」を唱えるそうです。「偈」とは仏の功徳をほめ賛える詩のことです。このように食物に感謝しながら食べれば、消化はスムーズにいくこと間違いなしです。
〈消化のために何を心がけるべきか、祈りを中心に食前の心構えを示します。〉


■五観の偈

●曹洞宗で行なわれている八つの偈のうちの一つである、五観の偈が示す心構えは、およそ次のようなものです。
❶自分は今ものを食べるに値する働きをしたかどうか
❷自分は人としての道を踏み外していないだろうか
❸腹八分にとどめようとするには、心の訓練が必要
❹「食物は良薬であり、この良薬をいただくのは飢餓状態を治療するため
❺正しい道を求め、身につけるために、このありがたい食事(良薬)をいただく。
●石塚左玄は常に、「飲食に節なければ病いを発して、天寿を全うすることはできない」 と述べました。
〈曹洞宗に伝えられている食事の際の内省すべき項目を示します〉


■食べるときの姿勢

●石塚左玄は食事のときの姿勢について、特に言及してはいません。でも、胸を張り威厳を保つよう努めていたことは事実です。「食よく人をすこやかに、食よく人を高尚に、食よく人を優美にする」と言っていたことを自ら実行していました。
〈食事における姿勢の正しさの重要性を述べます。〉


■恐るべき「ぐにゃ」現象

●六十歳を過ぎると、誰でもオランウータンのようなスタイルになるといわれていますが、それを避けるには体力づくりと健康食が必要となります。左玄は、「食よく人を健弱にし、食よく人を強弱にする」〈食が運命を決定づけるという左玄に影響を与えた江戸期の観想家の言〉と指摘しています。
●姿勢が悪いのは背骨の歪みのせいであり、骨粗鬆症に悩む人は一千万人、老人の大腿骨や頸部骨折は年間五万人といわれています。
●日体大の正木健夫教授の調査によれば、姿勢が悪く、背骨をぐにゃっとさせている学童が急増しているそうです。砂糖入り菓子や飲みものなどに原因があると考えられます。カルシウムを骨に密着させるには、重労働も必要です。楽をするだけでは後悔することになります。「ぐにゃ」の子供が増えていることは、日本の将来にとって憂うべき問題で、真剣に検討されなければなりません。
〈体力づくりとそれを支える食の重要性を説きます。〉


■フレッチャーイズム

●物を食べる最初の消化作業は、いうまでもなく「噛む」ことです。左玄は自著『体心論』の中に、「粉砕し唾液をまじえて飲み下せる穀物が最良である」と記して、よく噛むことの大切さを強調しています。「噛むこと」の重要性は宮入慶之助の論文「食べ方の問題」の中で、フレッチャーイズムが紹介されてからです。
●フレッチャーイズムの提唱者であるH・フレッチャーは、アメリカの富裕な商人でした。九七キロの肥満体のせいで、いつも疲労感と脱力感があり、仕事への意欲は減退するばかりでした。治療法をテキサスの食養者を訪ねたところ、 「食物はよく噛むことが第一だ」と教えられました。
●それからフレッチャーは、徹底的に噛むことを始め、五カ月を過ぎたころには、体重を七一キロにまで減らすことに成功したのです。健康になるにつれて、フレッチャーは、以前、好んで食べた肉類などを欲しなくなり、嗜好も自然の食品に変わったばかりか、食事量は以前の三分の一に減ったのです。
〈以上のような実例をあげて節食と噛むことの重要性を示します。〉


■石塚理論を裏づけたフレッチャーの実験

●フレッチャーは一九〇三年エール大学にチッテンデン教授(生理学)を訪ねて、自分自身が実験台になることを申し出ました。教授は自分自身を含む二十六人に二百二十五日間にわたる実験をつづけました。教授自身、毎日三六グラムの蛋白質、二千キロカロリーの熱量で五七キロの体重を維持し、健康状態はむしろよくなりました。そこでドイツのフォイト教授の説を支持してきたチッテンデン教授は、これまでの考えを改め、次のような説をたてました。
❶蛋白質は体の組織中に貯蔵されない。
❷余分の蛋白質の処理に体はエネルギーを消費する。
❸余分の蛋白は結腸で腐敗し、その毒物は体内を回る。
❹炭水化物や脂肪があれば、蛋白をエネルギー源とする必要はない。
❺体の要求を満たすために動植物蛋白の割合を考える必要がある。このように左玄の考えが正しいことは、フレッチャーやチッテンデン教授らによって、実験的に証明されたのです。
〈アメリカで行われた実験結果からも左玄の考えが正しいことがわかります。〉


■源氏が平氏に勝った理由

●源平の時代、貧しかった源氏は玄米を食べていました。そして一食につき百八十九回は噛んでいたという記録が残されています。栄耀栄華をきわめる平氏は白米を常食とし、噛む回数も一食で六十七回と、源氏の三分の一であったとのことでした。
●「噛むこと」が少ないと脳波はβ波が多くなり、α波は少なくなります。よく噛んだ源氏はα波が多くなって、冷静な判断を下せましたが、平氏は神経質になり、ほんのささいなことにも亢奮しました。このように噛む回数で、源平の盛衰ぶりを説明することもできるわけです。
●神奈川大学口腔生理学の斎藤滋教授によれば、邪馬台国の復元食 (もち米の強飯など)は、三千九百九十回も噛まねばならなかったそうです。現在の学校給食だと六~七百回と少なくなっています。噛むことによって、脳から静脈血を心臓へ送ることができるばかりでなく、筋細胞内に分布する筋紡錘を介して大脳皮質を刺激し、脳の働きを活性化し、記憶力や思考力、判断力などを高めるのです。
〈源平や、邪馬台国の食における例から「噛むこと」の重要性が述べられます。〉


■パロチンの威力

●「噛む」行為について注目すべきことは、唾液腺からパロチンというホルモンが分泌されることです。このホルモンは十七種のアミノ酸から成るグロブリン性蛋白で、主な生物学的作用は次のとおりです。
❶軟骨組織の増殖
❷歯や骨へのカルシウムの沈着
❸毛髪の発育
❹毛細血管の新生
❺白血球数を一過的に減少させたあと、増加させる。
❻血清カルシウム量および血清クエン酸量の減少。
また、パロチンは胃下垂症、変形性関節症、などの疾患に有効で老化とガンの防止作用もあるといわれています。
●食品総合研究所の寺尾純氏は、唾液の中に抗酸化作用のあることを発見し、さらにそれが尿酸であることを突きとめ、「寿命は唾液内の抗酸化作用の有無によるのかもしれない」と述べています。
●また、ドライバーの眠気防止に「ガムを噛む」ことが有効であることはよく知られています。 久留米大学医学部と九州大学文学部の共同研究によれば、噛むことで反応が早まり、赤信号認知からブレーキ操作にいたる時間も早くなることが分かりました。
〈以上のような実例から「噛む」ことが体に及ぼす良い影響が示されます。〉


■細嚼は飢え難し

●石塚式食養法では、玄米のおにぎりを一口百回、胃潰瘍の場合などは二百回以上噛むように指導しています。ゆっくり噛めば熱いもので胃を焼くことも、冷たいもので腹痛を起こすこともありません。胃潰瘍の傷面も唾液の粘液におおわれて刺激を防ぎます。消化の悪そうな玄米飯でも痛くならないのは、このような理由からなのです。
●白米は、しばしば胃酸過多症を誘発しますが、玄米飯には胃酸過多を抑制する作用があります。栄養学者の増子六郎氏は、玄米食者の唾液の中の酵素、アミラーゼとリパーゼは、白米食者より多いことを報告しています。
●仏典の中に「麁飡は飽き易く、細嚼は飢え難し」という言葉があります。これは、噛まずに丸飲みする者は満腹に馴れ、食物が乏しくなると一番にまいってしまうけれど、よく噛む者はたやすく飢えない、という意味です。
●昭和三十年代から、わが国の食物は一般に軟らかく、口当たりのよいように加工され、そのうえジュース類の液化食が増えたため、
❶顎が小さくなり子供の歯並びが悪くなった。
❷噛む力が弱くなり、飲み込む動作をうまくやれない。
❸噛むと顎が痛む顎関節症が青少年にも見られる。
❹第三大臼歯ばかりでなく、第二大臼歯も親知らず化
の傾向にある。
〈歯の生える時期が低年齢化した〉
❺虫歯が多くなった。
 などの現象が見られるようになりました。
〈よく噛んで咀嚼する玄米食の体に与える好影響について述べられています。〉


■虫歯大国ニッポン

●明治の初め、横浜で開業したアメリカの歯医者は、患者が来ないので市場に集まる人たちの歯を調べたところ、虫歯を持つ者はいなかったため、アメリカへ帰って行ったそうです。
●四千年前のエジプト人には虫歯はなく、ほとんど完全な歯を持っていましたが、紀元前三○○○年ごろの貴族の間には虫歯が認められています。それは当時の貴族が、脱自然的生活を送っていた証拠です。
●自然生活に徹していた古代人や、現在でも都市部から遠い地域に住む人の歯並びはきれいで、虫歯はありません。思春期以降四十歳代までの日本人で、まったく虫歯のない人はわずか一~三パーセントにすぎません。厚生省が昭和六十五年度に実施した実態調査によれば、五歳から十五歳までの子供の九七パーセントが虫歯を持っています。
●虫歯の元凶が砂糖であることはいうまでもありません。歯垢についたストレプトコッカス・ミュータンスという連鎖球菌は、砂糖によって水に溶けないグルカンという物質をつくり、それが口中の細菌を取り込んで歯を溶かし、虫歯にするのです。母親は、子供が望むままに甘いものを与えることなく、虫歯予防に努めてほしいものです。
〈古代からの虫歯の発症例をたどり、虫歯予防の重要性を訴えています。〉


第二章 穀食動物論―肉食でも草食でもない人間


■NaとKの比較

●現代の栄養学者は各種の栄養素の分析表によって、食物の善し悪しを決めるので「人間は肉食動物か、草食動物か、それとも穀食動物か」などと考える人はいません。明治の初期に、石塚左玄は、「人間は穀食動物である」と、自信たっぷりに断定しました。
●当時、ヨーロッパに留学した日本人学者は体格の違うヨーロッパ人に圧倒され、日本人との違いを「食」に求めました。帰国すると「ヨーロッパ人のように肉食すべきである」と説きました。
●幼少時から腎炎に苦しみ、常に塩の問題を意識していた左玄は、カロリーだけで食を評価することに大きな疑問をもち、留学帰りの学者らに反発しました。そして、カロリーがゼロだと発表されていたNa (ナトリウム)とK(カリウム)の食品分析をして、Naの多い群は漢方でいう陽性食品、Kの多いほうは陰性食品であることを発見しました。
●Na、Kの分析から牛乳と山羊乳、それに玄米のNa対Kが一対五であることも発見したのでした。漢方を学んできた左玄の頭に、そのとき漢方の陰陽五行説がひらめいたに違いありません。そして、ここからの発想が左玄に、白米でなく玄米を推奨させたのだと思われます。
〈左玄が明治期のヨーロッパの栄養学に疑問を持ちNaとKの分析から独自の考えを持ったいきさつが述べられています。〉


■なぜ人間は穀食動物なのか

●石塚左玄は、明治二十九年に刊行した『化学的食養長寿論』で「人類は穀食(粒食)動物なり」と述べその根拠を歯と、口の構造と運動に求めたのです。これは現代の生物学者や動物学者、考古学者が必ず用いる方法であり、その点でも左玄の着眼は時代を先取りしていたことになります。
●人間の歯は草食動物のヤスリ型歯でも、また肉食動物のノコギリ型歯でもありません。二十本の臼歯は穀物を噛むためのものなのです。そして、人間の下顎は肉食、草食動物より発達していて、その運動も、穀物を噛みこなすのに適しています。次に腸の長さですが、草食動物が最も長く、肉食動物はきわめて短く、人間はその中間です。
●日本人は古来、穀物と野菜、海草を食べて何の支障もなく、長生きした人は沢山おります。僧侶が精進料理で長命を保ったこともよく知られています。これらの事実を根拠に、左玄は人間を穀食動物と定義したのでした。〈左玄が人間は穀食動物であるとした根拠が述べられます。〉


■肉食人種になるのに二万年

●「人間は穀食動物である」と定義しますと、すかさず、「肉と魚しか食べないイヌイット(エスキモー)は人間じゃないのか」と、反問されそうです。イヌイットは、私たち日本人と同じくモンゴロイド(蒙古系)ですが、彼らが肉ばかりを食べるようになるためには一万年から二万年の長い歳月と、厳しい淘汰が必要でした。それでもイヌイットの歯は、人類固有の歯型のままなのです。
●牛肉一キロを得るためには、ざっと一五・七キロの穀物(飼料)を必要とします。アメリカ人なみの肉食では地球上には十三億八千万人しか住めない計算になるそうです。現在、六十億の人間が生きていられるのは、すべて穀物のおかげなのです。
〈肉食が穀食に比べカロリー摂取の上でいかに効率が悪いか説明されます。〉


■人間だけが持っている澱粉分解酵素

●人間が穀物を食べる動物である証拠は、肉食、草食動物にはないプチアリン(澱粉分解酵素)を唾液の中に持っていることです。人類は澱粉を含まない母乳を栄養としている乳児時代に、すでに大人の十分の一程度の澱粉分解酵素を持っていて、澱粉(穀物食)を含む食事を与えられると、すぐさま大人なみの酵素を分泌できるような仕組みになっています。この現象は、肉食動物や草食動物には見られません。人間の唾液に蛋白分解酵素がないことと考え合わせると、人間は澱粉食を摂る動物であることを理解できるでしょう。
〈酵素から穀食論を考えます。〉


■日本人に少ないラクターゼ

●私たち日本人の小腸には、哺乳動物の乳の中にある乳糖を分解する酵素、ラクターゼが欠如しています。このラクターゼは乳児には認められるけれど、離乳期になると消えてしまいます。欧米人は大人になっても、小腸内に残っているので、牛乳を飲めるのです。
●日本人の食物アレルギーの半数近くは、牛乳および乳製品のせいだという研究報告もあります。牛乳が日本に渡来したのは七世紀のころといわれますが、日本人の食生活の中に定着しませんでした。
●第二次大戦後、牛乳の栄養価は高く評価されて、学校給食に欠かせなくなりました、そのかわり昔はなかったアトピーや花粉症は、このあたりからきているとも考えられます。
〈乳糖の分解酵素と日本人と牛乳のかかわりの歴史が述べられます。〉


■肉食が長命をもたらしたのではない。

●最近、「日本が世界一の長寿国になったのは、動物性食品を取り込んで食生活を近代化した結果である」と、肉食を奨励し、粗食は短命の元凶なりと、穀菜食を否定する意見があります。
●平均寿命の曲線が動物蛋白消費量の曲線と並行して上昇しているのが証拠だとしていますが、山梨県棡原で研究生活をつづける古守豊甫博士の穀菜食の効果に関する報告を軽視しています。百歳老人の増加は肉食とは何の関係もありません。よく汗を流して働き、自然食をおいしく食べることが長命につながるのです。
●明治生まれの人は困苦欠乏に耐えて古来の食生活を守り、経済的な余裕ができたからといって軽々に食物を変えません。かつて老人の命を縮めたのは肺炎と結核、腸カタルなどでしたが、これらのリスクは解消しました。寿命の伸長は日本だけでなく、昔ながらの肉食の国でも実現しています。それを考えると、肉消費の上昇が日本人の寿命を延ばしたとはいえないはずです。
●注目しなければならないのは、肉の消費量と並行して有病率が高まったことです。長寿国となった日本において、多くの人が健康に不安を覚えているのは、なんとも皮肉なことです。
〈肉食が日本人の寿命を延ばしたという説を否定しています。〉


■肉食後、体内はどうなるか。

●仏教伝来後、肉食の習慣を断ってきた日本人が、何万年も肉食をつづけてきた欧米人なみの食生活に、軽々しく切りかえてよいはずはありません。
●私たちが動物性食品を摂取すると、腸内菌は化学変化を起こし、肝臓はそれを解毒するための働きを求められます。その肝臓に障害があれば、もちろん解毒できなくなり、その結果、アンモニア血症や肝性脳症、肝性昏睡などを起こします。
●寿命や老化に腸内菌が深くかかわっていることは明らかです。肉を分解したアミノ酸からは、アンモニアと有毒な各種のアミンが作られるのです。アンモニアは肝臓で尿素になり、排泄が不充分だと尿素から尿酸がつくられます。尿酸は抗酸化作用物質として、注目されるところもありますが、尿酸によって痛風が引き起こされます。
●肉を食べると当然、肉に含まれている燐酸や硫酸が血液を酸性にするので、これを中和するために歯や骨のカルシウムを溶かすことになります。肉食の欧米人に骨粗鬆症や骨の多孔症、骨の彎曲が多いのは、そのせいなのです。
〈肉食と腸内菌、アミノ酸分解の過程が述べられています。〉


■体温の低い日本人に肉は不適である

●肉を食べると高脂肪になりますがその影響はどうなるでしょうか。牛豚の飽和脂肪酸は、植物の不飽和脂肪酸より固まりやすい性質をもっています。人間の体温の三六・七度で固まってきます。平均体温が三七度の欧米人より低い日本人には肉は不適である、ということも言えます。
●植物や魚の脂肪は飽和脂肪酸より不飽和脂肪酸の割合が高く、室温で液体となるため日本人には肉より魚、野菜のほうが適しているわけです。魚に含まれているEPA(エイコサペンタエン酸)という不飽和脂肪酸は、肉の脂肪とは逆に血液の粘度(ねんど)を下げるとともに赤血球を柔軟にし、酸素の供給をしやすくします。
〈肉に含まれる飽和脂肪酸と魚、野菜の不飽和脂肪酸の比較です。〉


■「ベルツ日記」が教えるもの。

●ドイツ人医師のベルツは、明治九年に来日し、東京医学校で教鞭をとるかたわら、草津、伊香保温泉の研究と紹介をした明治期の日本にとっては恩人です。「ベルツ日記」には彼を運んだ人力車夫のことが記載されています。
●日本人の二人の人力車夫は植物性の食事だけで休むことなく十時間も走りつづけました。彼らが摂った蛋白脂肪はフォイト(ドイツの栄養学者)の標準よりはるかに少ないので、ベルツは彼らに牛肉を与えつづけました。三日目に、「肉を食べ始めたら疲れやすくなり、このままでは走れないので肉はやめてほしい」という申し出があり、食事を元に戻すと、彼らは以前の元気な車夫に戻ったということです。
〈日本人の肉食に関する興味深いエピソードです。〉


■横井庄一さんが生き延びた理由

●戦後、三十年近くもグアム島の洞窟に隠れ住んでいた横井庄一さんの話によれば、元将校の二人も近くの洞窟に住んでいて、時おり往来していたそうです。あるとき横井さんが迷い込んだ牛を殺しその肉を二人の元将校に分けてやりました。
●横井さんは、その肉を薄く切って干肉とし、これを少しずつ野草や、野菜とまぜて食べることにしました。一カ月ほど経ち、元将校の洞窟を訪ねたところ二人とも白骨になっていました。断食にも似た生活をつづけたあとで、いきなり肉を食べたために、二人は命を落としたのです。
〈耐乏生活と動物性タンパク質摂取の実話です。〉


■肉食動物と草食動物

●肉食動物は孤棲的で持久力こそないけれど、一時的な疾走力や攻撃力は凄まじく弱肉強食の動物とされていますが、孤棲的であるために繁殖力は弱く、絶滅の危機にさらされています。肉食動物に比べると、草食動物は平和的で群棲を好み、穀食のネズミやスズメ、ハトなどとともに、その繁殖力は旺盛です。これらの動物の特徴は、『弘明集』〈四世紀中国の僧の著述〉という本に「穀を食う者は智、草を食う者は痴、肉を食う者は悍、気を食う者は寿、世人その事を知らず」と述べられています。
●繁殖力について思い当たることは、植物性食品の蛋白にはアルギニンが多く、これが生殖にかかわり、草食、穀食動物の繁殖力の強さになっていると考えられています。近年の日本人の出生率の低下に関連しているかもしれません。また、野草や野菜には亜鉛やマンガンが多く含まれています。 亜鉛が欠乏すると男性ホルモンの量や精子の数が減ったり、前立腺障害が起きたりします。亜鉛はかき、あさりをはじめ、小豆、きんとき豆、米、小麦の胚芽、かぼちゃとヒマワリの種子などに多く含まれています。
〈肉食動物と、草食動物の生態と繁殖の違いが述べられます。〉


■日本人と欧米人の坐禅

●フランスを中心に欧米人に坐禅を普及させた弟子丸泰仙和尚の話で、欧米人の座禅は日本人の3倍にも及ぶことがあるということでした。狩猟民族と農耕民族の間には、肉食動物と草食動物の違いのようなものが見られるのかもしれません。
●欧米人は自分の弱点を他人に見せて、助けを求めようとはしません。弟子丸和尚の師匠に当たる澤木興道師は、「坐禅は、自分が自分で自分を自分する」〈自分自身のことは自分で考える〉という教え方をされたが、厚い壁に突き当たったときのヨーロッパ人にとって、これは解決方法としては最善なのに相違ありません。心のパニックに時間を与え、迷いを振り切って新しい活路を見出すには長時間が必要な場合があります。
●菜食の日本人は臆病で仲間にばかり気を取られ、仲間の真似をすることで安心します。肉食動物に襲われたときの草食動物は、仲間と一緒に逃げ回ります。草食動物のその雷同性は、そのまま日本人に当てはまりそうで、日本人の文化は真似の文化であって、創造性に乏しいといわれています。
〈日本人と欧米人、農耕民族と狩猟民族の特性が対比されます。〉


■ヨーロッパ人と肉食

●ヨーロッパ人は昔から、ずっと肉食をつづけてきましたが、それには背景があります。日本では多量の雨が降り、夏には太陽が照りつけるため、牧畜に向かない繊維の硬い植物が繁茂しています。この気候風土が日本人を、米や雑穀、野菜などをつくらせる農耕民族にしたのです。日本は牛を飼う牧畜よりはるかに効率のよい食糧(米)をつくれる条件を備えているのです。
●ヨーロッパでは、雨量や気温の条件で南では亜熱帯大麦、中北部ではとうもろこし、そして北部では冬小麦、ライ麦、春小麦、燕麦、亜寒帯大麦などをつくります。冬草の麦類は必須アミノ酸の構成が悪くて、糠の部分が多いのです。
●外皮は米では一○パーセント以下ですが、麦類では四〇パーセントになります。そのような麦類を常食すると蛋白質不足となります。ヨーロッパの山野には、牧牛の飼料としては最適な軟らかい野草が繁茂しています。牧畜民族の生活習慣が根づいた結果、 彼らはパンやスパゲティ、ビフテキを食べ、バター、チーズ、ソーセージ、干肉などに親しむようになったのです。風土的条件が彼らの食生活を肉中心にしたのです。
〈ヨーロッパの肉食文化の風土的条件が述べられます。〉


■肉の害

●世界には六百万人のベジタリアン(菜食主義者)がいるそうです。あの『進化論』のダーウィンは、 「原始人は果物を常食としていた」と述べましたが、これは多くの学者に支持されています。
●食養の開祖ともいうべき石塚左玄は、人間の歯は四本の門歯と四本の退化した犬歯のほかは二十本の臼歯であること、下顎は穀物を噛みこなせるように発達していること、腸の長さなどから、穀食動物であると主張しました。
●ビタミンB1分解酵素(アノイリナーゼ菌)の発見者である松川男児博士は、この菌が肉食者の便の中に多いことを指摘しています。食品の各栄養素は、そのまま消化、吸収されるのではなく、消化管内のバイ菌の食べ滓も吸収する形となるので、毒物産性の強いバイ菌は避けなければなりません。 肉を多食すると、腸内に強腐敗性のウェルシー菌が増殖することも知られています。
〈菜食あるいは穀食の妥当性と肉食による腸内環境の悪化が語られます。〉


■石塚左玄の先見性

●第二次大戦後、日本人はがむしゃらに働き復興から高度成長時代に入ると、食生活も欧米先進国なみになりましたが、その結果、病気までもが欧米なみになりました。成人病が若年化し、現在では糖尿病を患う小学生も、さほど珍しくありません。
●成人病は脳血管障害、高血圧症、糖尿病などいずれも厄介なものです。また、これまであまり見られなかったベーチェット病なども加わっています。しかも、農漁村の人たちも冒し、その勢いは都市部を上回るほどなのです。日本人は白米や、砂糖や安直な添加物入り加工食品を多食し、ビタミンや栄養のバランスを考えないから、被害を大きくしています。
●アメリカでは、糖尿病の予防と治療に高繊維、高澱粉食が効果的で、穀物澱粉を総エネルギーの六五~八五パーセントにすれば冠動脈疾患発生の頻度を低下させ、心臓病の危険度も軽減させられるといわれています。消化吸収がよく栄養価値の高いものを食べよ、という考え方はなくなりつつあります。
●カリフォルニア長寿研究所リハビリテーションセンターの実験では、食事のカロリーの八〇パーセントが澱粉で、蛋白質と脂肪はそれぞれ一〇パーセントが、成人病の予防治療に有効であることが明らかになりましが、これは石塚左玄が主張していた食養食なのです。
〈現代の日本の食の不合理性と引き起こされる疾病の関連が述べられています。〉


■命を大切にしよう

●栄養を考えるときに、忘れてならないものに腸内菌があります。腸内菌は有害なもの、無害なものと多種多様です。大切なのは、私たちの健康保持、増進に役立つ腸内菌を安定させておくことです。そのためには栄養学的にバランスのよく取れた、その土地土地で先祖代々食べてきた固有の食べものを、食べることです。これが、〝天食〟と呼ばれるものなのです。
●世界で最もバラエティに富んだ食事をしている日本人が、その天食を忘れています。日本は世界の食品、料理のショーウインドーといわれていますが、それは病気のショーウインドーにも結びつくのです。私は医学者の立場から、「舌先よりも命を大切に!」 と、声を大にして叫ばずにはいられません。
〈食と命の大切さがこの章の結論とされます。〉


【著者:沼田 勇 博士 略歴】

画像の出典:一般社団法人 日本綜合医学会 2021年初号より

1913年:茨城県生まれ。医学博士
1935年:ビタミンC酸化酵素発見
1941年:ビタミンB1分解酵素サイアミナーゼ(アノイリナーゼ)発見
1942年:チステイン存在下グルタチオン分析法創見
1943年:魚の血合の生理的意義の発見
1944年:野草600種の栄養分析、ビタミンの遺伝子支配発見
1945年:炊飯米長期保存法の研究
1946年:中支派遣軍150万人と一般邦人引き揚げ時、消毒剤皆無のなか、コレラ、赤痢など腸内菌による伝染病に対する予防法を創案(これを国連WHOが沼田法として採用)
1947年:伊豆大仁にて開業
1954年:日本綜合医学会創立、現在永世名誉会長
1970年:インドネシアに国賓として招待さる
1971年:スリランカに国賓として招待さる
1977年:台湾に国賓として招待さる
1983年:バングラデシュ大統領主催 ビスダナンダ・マハテラ大僧正米寿の祝いに招待される。

沼田勇著「幕末名医の食養学」を用い、各項目ごとに要旨を纏めました。


【石塚 左玄 略歴】

Sagen Ishizuka

画像の出典:Wikipediaより

1851年(嘉永4年):福井藩の漢方医石塚泰助の長男として生まれる。石塚家は大石内蔵助の末娘の子孫で代々漢方医を業としてきた。12歳で医者としての腕前を認められ、漢方医学、理化学等を学んだ。
1868年(明治元年) :18歳のとき、福井藩医学校に勤務する。
1871年(明治4年) :橋本左内の弟で日赤初代病院長と東校(東大の前身)の外科教授を兼ねる橋本綱常を頼って上京する。
1872年(明治5年):東京大学南校科学局に入る。
1873年(明治6年):23歳で医師と薬剤師の資格を取得する。
1874年(明治7年):陸軍で軍医試補として職を得る。
1888年(明治21年):東京医師開業試験委員
1893年(明治26年):「化学的食物塩類篇」と題する研究論文を発表する。
1896年(明治29年):46歳のとき 「化学的食養長寿論」を出版した。この時陸軍少将、薬剤師監に昇進したのち退役する。
1898年(明治31年) :「通俗食物養生法―化学的食養体心論」を出版した。このころ、東京市ヶ谷の自宅にある「石塚食療所」で治療にあたる。
1871年(明治4年) :食養会を結成し、月刊の食養雑誌を発刊する。協賛者には知識人が多く、大変な評判になる。
1909年(明治42年):10月17日、慢性腎炎が尿毒症を引き起こし逝去する。58歳であった。


■一般社団法人日本綜合医学会会報誌より抜粋